研究内容

化学は「原子間の結合様式にもとづくありとあらゆる現象を研究し、そこで得た知識を生活に役立てようとする学問である」と言われています。化学者たちは、個々が得意とする様々な切り口でこれに挑んでいます。私自身にとって化学研究の大きな魅力のひとつは、どんな化合物を創り出すか(発想)やどんな設計をするか(デザイン)が研究を進める上でとても重要な要素になることです。個々の化学者が持つ独特の感性が、発想や設計に反映されることで、化学はクリエイティブであり続けています。

我々は、新しい遷移金属化合物の創出を柱とする研究をおこなってきています。これまでにない構造を持つ遷移金属化合物を創出すると、そこから新しい現象が次々と明らかになっていきます。化学結合に対する新しい知見と理解、有機化合物や無機化合物の新しい分子変換反応、興味深い物性の発現へと展開していきます。

<新しい化合物の発想と展開>

化合物の性質は内部の結合様式に大きく依存するため、新しい結合様式をもつ化合物を創り出すことは多くの新しい可能性を生み出します。構造が斬新であればあるほど、そこから新しい化学的概念が生まれる可能性が大きくなり、物質の活用方法に新たな道を拓くことにつながると考えています。村橋研究室では、新しい遷移金属化合物の創出を柱のひとつに据えて研究をおこなってきています。現在進行中の研究を以下に紹介します。

サンドイッチ型分子に対する新しい構造概念の導出

我々のグループが発見・創出したのが、「多核サンドイッチ化合物」です。サンドイッチ化合物は、平行に配置された2つの不飽和炭化水素間に金属原子が挟み込まれた化合物の総称であり、1952年にG.WilkinsonとR.B.Woodwardによってその存在が初めて実証されました。1973年のノーベル化学賞(Wilkinson, Fischer)の対象にもなったこのサンドイッチ化合物は、20世紀後半の有機金属化学および遷移金属錯体化学に革新をもたらし、現在では「教科書の化合物」になっています。我々は、この常識になっていた化合物の構造に、未知の可能性を見出し、展開してきました。すなわち、これまでふたつの平行に配置した不飽和炭化水素平面の間に固定できる金属原子の数は1個か2個に限られると信じられてきましたが、我々は多数の金属原子が固定された場合でも安定な分子が形成されるのではないかという仮説を立てました。たとえば、金属鎖を挟み込んだ一次元拡張型サンドイッチ分子や、金属シートを挟み込んだ二次元拡張型サンドイッチ分子が安定に存在するかもしれないと考えたのです(図1)。このような仮説に基づく研究は、我々が研究を開始した当時は、世界中で誰もおこなっていませんでした。それもそのはず、20世紀後半の有機金属化学を牽引したWilkinsonとFischer、さらには彼らの多くの弟子たちが、単核サンドイッチ錯体、そしてその誘導体の研究を半世紀にわたって徹底的に研究してきたのですから、サンドイッチ化合物の構造概念は確立されたと考えられていてもおかしくありません。実際に、偶然の産物としてさえ、このような多核サンドイッチ錯体は合成されていませんでした。それでも我々のグループは、この多核サンドイッチ錯体に魅了され、我々の手でその存在を明らかにしたいと考えました。もし、多核サンドイッチ化合物を創出できれば、それは有機金属化学に新しい発展の芽をもたらし、新しい化学が始まる予感があります。こうして、我々のグループの「未知の可能性」への挑戦が始まりました。

図1.サンドイッチ構造の次元拡張の概念図.

1次元金属鎖サンドイッチ錯体
 我々のグループは、二重結合が一次元的に連続したπ-共役構造を持つπ-共役ポリエン類が一次元金属鎖を挟み込んで安定な化合物を形成することを1999年に初めて発見しました(初報:J. Am. Chem. Soc. 1999)。村橋自身が実験をおこないましたが、最初に合成に成功し、X線構造解析によりその構造を実証したときの興奮は忘れられません。未踏の地に足を一歩踏み入れるような感覚があったからです。連続的なπ-配位結合を介してπ-共役ポリエンと金属-金属結合鎖がハイブリッド体を形成しており、これまでにないタイプの一次元分子とみなせます。我々のグループでは、この新しいタイプの一次元分子をサイズ・形状選択的に構築する合成法の開発を進めています。最近では、天然に豊富に存在するβ―カロテンが一次元金属鎖を挟み込んで10核鎖構造を構築することを明らかにしています(Nature Commun. 2015)。金属原子(イオン)がどのように共役ポリエン間に集合・整列していくのかについて、機構解明を進めており(J. Am. Chem. Soc. 2006)、そこで得られた知見をもとに、長鎖構造(10核以上)の金属鎖サンドイッチ錯体の合成の達成を目指して研究を進めているところです。また、屈曲したπ-共役構造を持つ配位子を用いることにより、曲がった金属鎖サンドイッチ構造を構築できることも見出しています(Angew. Chem. 2006)。

図2.共役ポリエン-金属鎖サンドイッチ錯体の構造例.
 
 このような特異な分子内結合様式を持つポリエン-金属鎖サンドイッチ化合物は、興味深い性質を示すことが明らかになりつつあります。たとえば、最近、ポリエン配位子間の金属鎖が、レドックス(酸化還元)に応答して可逆的に分裂する現象を発見しました(Nature Chem. 2012)。分子内で金属-金属結合が可逆的に切断されるとともに、金属がサンドイッチ構造内で位置移動(転置・translocation)しています。このように金属が位置移動をしながら分子内で離散・集合する現象は、これまで他の種類の分子では観測されておらず、多核サンドイッチ錯体からの発展で見出した新現象であると言えます。このように、新しい分子構造は新しい現象をもたらすのです。


図3.金属鎖が可逆的に分裂する現象の模式図(Murahashi et al. Nature chem., 2012).

 同じく興味深い現象として、可視光照射により、ポリエン配位子が面反転を起こす挙動を発見しています(J. Am. Chem. Soc. 2002).光照射により、π-共役ポリエンと金属鎖間の連続的πー配位結合が弱められ、π共役ポリエンが金属鎖上でひっくりかえる現象が起こります。π-共役ポリエン自体は、光照射によりcis-trans異性化を起こすことがよく知られています。また、金属-金属結合種は、光照射によって金属-金属結合がホモリティックに切断されることも知られています。しかし、ポリエン-金属鎖ハイブリッド体では、全く異なる光異性化挙動を示すことがわかったのです。光を照射することによって熱力学的に不安定な異性体が生成することもわかっており、このポリエン-金属鎖サンドイッチ分子は光エネルギーをたくわえる能力を潜在的に持っているとみなせます。


図4.可視光照射によりポリエン配位子が金属鎖上で面反転を起こす(Murahashi et al. J. Am. Chem. Soc. 2002).

 

2次元金属シートサンドイッチ錯体

一次元金属鎖サンドイッチ錯体が安定に存在し、合成・単離可能であることを示した我々は、続いて金属シートを持つサンドイッチ錯体の実証研究に挑んでいます。金属シートは金属鎖よりも構築が難しいとされていましたが、二次元的なπ-共役構造を持つ縮環アレーンを配位子として採用し、研究を開始しました。実は最初に合成した縮環アレーン多核錯体は、一次元金属鎖錯体でした。それがペリレン4核鎖錯体です(J. Am. Chem. Soc. 2003)。この錯体は、狙った二次元金属シート錯体ではありませんでしたが、縮環アレーン類が多核金属種をバインドした初めての化合物です。我々は、さらに合成研究を進め、テトラセンを用いた場合に、5核金属シート錯体が生成することを発見しました。さらに、同時期に、7員環トロピリウムが3角形状金属シートを挟み込んで安定な構造を与えることも発見しました。両方の錯体とも、初めてその構造を明らかにしたときには研究チーム全体が興奮に包まれました。我々のグループが発見した2次元金属シートサンドイッチ化合物の最初の報告は、Science誌に掲載され(Science 2006)、大きな反響を呼びました(アメリカ化学会機関誌C&E NEWSにトップ記事として紹介等)。このような金属シートサンドイッチ構造がどのように形成されるのかについて機構研究も進めています(Chem. Sci. 2011)。

図5.金属シートサンドイッチ錯体の最初の例(Murahashi et al. Science, 2006).

一旦「できる」ことがわかると、次々と別種の金属シート錯体が合成できることがわかってきます。まさに新化合物の合成ラッシュです!6員環アレーンや、非芳香族化合物などでも、金属シートサンドイッチ錯体が合成できるのです(Angew. Chem. 2007、J. Am. Chem. Soc. 2008、Angew. Chem. 2015, Angew. Chem. 2017)。ここでは挟み込む上下の配位子の組み合わせが大事であることもわかってきています。たとえば、6員環ベンゼン同士で3核シートを挟み込もうとしても安定な構造はできませんが、6員環ベンゼンと8員環シクロオクタテトラエンで挟み込むと特異的に安定な錯体が形成されます。さらに、我々が2009年に発表した4核サンドイッチ錯体は、8員環不飽和炭化水素と9員環不飽和炭化水素が正方形型金属シート挟み込んだ美しい構造を持っています(J. Am. Chem. Soc. 2009、Angew. Chem. 2019)(図6)。一方、ペリレンやフルオランテンを配位子に用いると、直線状4核金属鎖が形成されることも明らかにしています(J. Am. Chem. Soc. 2003, Angew. Chem. 2007)(図6)。さらに、異種混合金属シートをサンドイッチ構造に組み込む取り組みをおこなっており、パラジウムと白金を組成をコントロールして3角形状に組み上げることも実現しています(Chem. Eur. J. 2012)。

図6.正方形型4核金属シートサンドイッチ錯体(Murahashi et al. J. Am. Chem. Soc. 2009)と直線型4核金属鎖サンドイッチ錯体(Murahashi et al. J. Am. Chem. Soc. 2003).

 2次元金属シートは、1次元金属鎖を形状変換して合成できることもわかりました。ペリレン4核鎖サンドイッチ錯体が環状不飽和炭化水素である8員環シクロオクタテトラエンと反応して、片側のペリレンが交換され、菱形シート骨格へと形状変換します(Angew. Chem. 2007)。もともと、金属鎖構造と環状シクロオクタテトラエンは形状がミスマッチなのですが、金属鎖側が柔軟に形状を受容するシクロオクタテトラエンに合わせて変化させているのです。



図7.縮環アレーン上で金属集合体が移動し、金属-金属結合を組み替えて形状変換を起こして環状オレフィンを受容する(Murahashi et al. Angew. Chem. 2007)。

現在、我々のグループでは、巨大金属シート構造の構築に向けた合成研究を進めています。また、金属シートサンドイッチ構造を周期表の金属全般で合成できるかどうかについて実証する研究を進めています。さらに、我々のグループでは、2次元金属シートサンドイッチ錯体を、有用な触媒として開発することを目指したプロジェクトを進めています。

3次元塊状金属サンドイッチ錯体 
 我々は、最近、環状不飽和炭化水素が包囲型で塊状サブナノ金属クラスターをバインドして安定な錯体が形成されることを初めて見出しました(Murahashi et al. J. Am. Chem. Soc. 2018)。驚くべきことに、最小の最密充填(fcc)型立方八面体13核金属クラスターを6つのトロピリウム配位子が架橋配位することで、安定なサブナノクラスターが生成し、これを化学合成可能です(図8)。この発見は、我々が開発してきた1次元金属鎖サンドイッチ錯体、2次元金属シートサンドイッチ錯体を、さらに3次元型に次元拡張できることを意味しており、これを契機に、均一系サブナノ錯体化学への道が拓かれる可能性を示すものです。このような新たな展開は、まだ化学者が気付いていない未知の物質群が横たわっていることを示唆しています。村橋研究室では、この新しく見出した"Rice-Ball型"サブナノ金属クラスターの合成研究を展開し、その機能を明らかにしようとしています。

図8.サンドイッチ構造の3次元合成で実現したサブナノ13核金属クラスター(Murahashi et al. J. Am. Chem. Soc. 2018)。

<遷移金属錯体の反応を解明・制御する>

遷移金属錯体の反応化学を解明することは、村橋研究室のもうひとつの研究の柱です。遷移金属触媒反応の化学は、20世紀前半に主に工業レベルで開花し、その後学問として発展を続けて精密有機合成へと展開されてきました。今や遷移金属触媒反応は有機合成化学や無機合成化学に欠かすことのできないツールとなっています。しかし、遷移金属触媒反応の反応原理についてはまだ多くの謎が存在しています。また、新しい触媒反応原理が登場することにより、合成化学における新たなブレイクスルーがもたらされると期待されています。村橋研究室では、優れた触媒機能を示す後周期遷移金属に焦点を当て、その錯体反応性について解明を進めています。

Pd-Pd結合錯体の反応化学
 我々は、鍵となる出発原料を自ら開発し、これを用いて錯体反応化学を展開しています。我々が開発した[Pd2(CH3CN)6][BF4]2は、パラジウム錯体反応における極めて優れた開始原料として機能します(Chem. Commun. 2000)。これまで、Pd-Pd結合錯体を安定化合物として得るためには、ホスフィンなどの配位力の強い配位子を結合させる必要があると考えられてきました。しかし、このような錯体は安定に得られる一方で、反応性に乏しく、Pd-Pd結合錯体の反応性を十分に調べることができていませんでした。我々は、溶媒のみを配位子として持つ反応活性Pd-Pd結合錯体を単離する方法を開発しました。この錯体は、1,3-ジエン、アルキン等の不飽和炭化水素基質と反応し、二核付加体を与えることを明らかにしています(J. Am. Chem. Soc. 2006他)。また、最近ではアレーン類に対しても二核付加を起こすことを解明しています(J. Am. Chem. Soc. 2011)。また、複素芳香環であるピロールやインドールがPd-Pd結合上にπ-配位して安定な錯体を形成することも明らかにしています(Chem. Commun. 2013)。このようなアレーン類へのパラジウム付加構造やπ-配位構造は、単核錯体からは容易に得られないことから、Pd-Pd結合錯体特有の反応であると言えます。

 
図9.高い反応性を示す2核Pd-Pd錯体の開発と反応パターンの解明(Murahashi et al. J. Am. Chem. Soc. 2011 他).

 

「新しさ」を生み出すこと。これこそ、化学の醍醐味ですし、好奇心の塊である化学者がもっとも力を発揮して活躍するホームグラウンドです。村橋研では、チーム全体で「新しさ」を生み出そうとしています。村橋教授の研究は、雑誌「月刊化学」(化学同人)、「現代化学」(東京化学同人)に特集紹介されています。「化学と工業」(日本化学会機関誌)、Chem&Eng News(アメリカ化学会機関誌)、Nachrichten aus der Chem(ドイツ化学会機関誌)でも紹介されています。

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